大和ミュージアム 呉市海事歴史科学館
2007年8月20日訪問
広島から快速電車だと30分もかからずに呉に着く。駅を出ると、直結で大和ミュージアムがある。老若男女問わず訪れる観光客は多い。その位置の良さからか、ヒットした映画の宣伝効果もあるのかと思ったが、実際に見学してみると、それだけではないことが分かった。
呉は明治以来の富国強兵政策のもと、海軍の歴史とともに歩んできた町である。
展示はその歩みから始まる。
軍港都市の歴史が綴られ、海軍の興隆と、館の愛称にも用いられている戦艦大和の建造地、母港としての呉が展示されている。
写真や実物資料に加え、艦船などの模型が展示され、ビジュアル度は高い。
その歴史は大和の“悲劇的”な最後でクライマックスを迎える。
そして、戦後の歩みは船造りモノづくりの歴史として語られる。
軍事技術は見事に平和利用されました、ということになる。
もちろん、戦争賛美が謳われるわけではない。
呉の空襲や原爆にも触れられる。
大和乗組員の顔写真を始め、犠牲者一人ひとりに迫る展示は、戦争の悲劇を雄弁に語る。
10分の1の巨大な大和の模型や、大型資料展示室の回天や零戦の実物は迫力がある。
松本零士の作品をモチーフにした未来への展示や、船の科学を遊びながら学べる体験コーナーなど、見学者を引きつけ、楽しませる工夫も多い。
よくできたミュージアムだといえる。
だが、どこか違和感がある。
それは何だろう。
模型や実物のオンパレードに、単に実物の持つ迫力やわかりやすさ以上に、それらを愛玩する心性をくすぐるようなものを感じた。
「美しいな」「かっこいい」「すごい」、そんな感想をねらっているように思えた。
大和の悲劇的な最期にしても、あのすばらしい大和がこんな悲惨な最期を迎えるなんて、という嘆きに見えるところがある。
戦争をしたから悲劇なのではなく、戦争に負けたから悲劇だ、ということになってしまう。
あんな巨大な戦艦を造っても、結局こうなってしまう、という空しさや不合理を感じさせるようにはなっていない。
まあ、大和の存在自体に疑念をはさんでは、このミュージアムが成立しなくなるのだから、それも無理からぬことかもしれない。
では、このミュージアムの存在理由とは何なのか。
パンフレットには「平和の大切さを伝える」とある。
大和は、その目的にかなっているのか。
くふうされ、迫力のある展示は、見学者を動員する力があるだろう。
だがその見学者は何を得て帰るのか。
「平和の大切さ」ということであれば、戦争のために存在した大和を否定しなければならないはずだ。 お国を護るための大和、すばらしい。
なのに沈んで残念。
そういう、ノスタルジーで戦争をふりかえることにしかならないのではないか、という心配がある。
その心配は、館内にあるショップをのぞいたときに、さらに高まった。
「大和せんべい」「大和まんじゅう」「海軍カレー」などのみやげもの、海軍関係のグッズ、プラモデルやレプリカ……。
原爆資料館で「原爆せんべい」は絶対売らないだろう。
なぜ「大和せんべい」は売れるのか。
そこにあるのは「記念」だけで、「反省」がないからなのではないだろうか。
こう見てくると、大和ミュージアムは、学習施設というより、観光施設とよぶ方がよいといえる。
もちろん観光施設において学習することは可能である。
このミュージアムでも、展示それ自体は、見学客にアピールする力を強く有している。
だが、それは見学者に変化を与える力ではない。
反戦平和の願いを持って見学すれば、その思いはより深まる。
帝国海軍へのあこがれや懐旧の念を持って見学すれば、その思いはより深まる。
国のために命を捧げた人々を賛美する思いも深まるだろう。
けれども、軍事技術や兵器の発達に価値を見いだし、戦前の軍国教育で涵養された精神主義を求める人に、その考えの検討を迫るような力はない。
力がないというより、それを志向していない。
平和資料館であるならば、戦争を忌避し平和を志向する方向に見学者を導く工夫が必要である。
大和ミュージアムは、展示の技術は十分にあるが、その志向性において不足しているといえる。
よって、ここを平和学習の場として利用する際には、十分な事前事後学習が必要である。